東京駅を創った辰野金吾に思いを馳せる
どうも千日です。今日は東京での用事が思いのほか早く終わり、2時30分の新幹線で帰路に着きました。そういえば、東京駅が2012年に復旧されてから一度も外から見たことが無かったので少し寄り道をして外から眺めてみました。
東京駅の竣工は1914年、設計者は九州唐津藩の下級武士の子として生まれた辰野金吾という人です。これを聞いただけでドラマを感じます。
また、旧満州鉄道の瀋陽駅は辰野金吾氏の弟子の太田毅氏が設計を担当し、東京駅の設計図を利用して東京駅より4年早く1910年に竣工しました。こちらは竣工時のまま現存してます。
建築家という仕事はいいですね。優れた建築は文字通り後世に残る。
東京駅のドームの天蓋
辰野金吾氏は当時の下級武士の子で明治維新という社会の大きな転換期に乗じて表舞台にのし上がった野心家です。
工部大学校時代にその師であるジョセフ•コンドル氏(鹿鳴館の設計者)に言った言葉があります。
『私は東京に三つの建築を残します。まず第一に日本中央銀行、次に東京中央駅、最後にいつか開かれるであろう国会議事堂です』
当時彼は19かハタチそこらです。でもって始めの二つは予言通りに実行し、最後のは、審査員として参加しました。(直後にスペイン風邪でこの世を去りました)
そりゃ明治維新だからでしょ
とは言わせません。安藤忠雄氏は高卒(建築科ではない)元々はボクサー志願、そして独学で建築を学んだのです。
安藤忠雄氏については数々の名言があり、今も活躍されてます。
人は、出来ると信じられることまでのことしかできない
強く思うこと、信じることができればその大半は実現出来るんだと思います。若い頃の私は辰野氏や安藤氏のようなこと思いもしなかったし、出来ると信じてもいませんでした。
会社を辞めてある国家資格を目指して勉強を始めた頃、周囲や両親は『無理だからやめておけ』と言いましたが、結果として路頭に迷わず済みました。
どこまでの大風呂敷を広げられるか(それを大真面目に信じられるか)がその人の器なんでしょうね。私の器は上記のもの位だったのでしょう。
人は信じれば必ず出来るとは思いません。
一方で
人は信じられることまでのことしか出来ない。
私なりに、今になって言えることです。信じられることのスケールが志の高さ、器の大きさというものなんでしょうね。


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